★允恭天皇の「浅津」は月宿の「婁」★
古事記は古事記で自己完結している。そう思っていたが、 やはり日本書紀と比べることにより見えてくることが多い。 その例として、ひとつの名辞に込められた意味合いを解こう。 第19代の天皇の「男浅津間若子宿禰」の「浅津」を 書紀は「朝津」に作る。これは単に表記の違いであって、 まったく何も見えてこない。他に注目すべき箇所はあるか。 垂仁天皇の娘に「稚浅津姫」がいる。この人物がポイントだ。 《古事記》 《日本書紀》 垂仁天皇 ┌─伊許婆夜和気 垂仁天皇 ┌─池速別 ┃ | ┃ | ┠──┴─阿邪美都比売 ┠──┴─稚浅津姫 ┃ ┃ 阿邪美能伊理毘売 薊瓊入媛 古事記の系譜を見ると、「阿邪美能伊理毘売/阿邪美都比売」は母娘。 「阿邪美」という名辞を継いでいることが分かる。次に「稚浅津姫」を 古事記の「阿邪美都比売」と比べると、「稚」は付加であることが分かる。 即ち書紀の「浅津」は古事記の「阿邪美都」である。ここで「ツ」は接尾辞。 ところが同じ「阿邪美」を負う「阿邪美能伊理毘売」が書紀では「薊瓊入媛」。 である以上、やはり「浅津」も「薊瓊」も同じ。別の名前ではないと考えるべき。 ★★★★★←→★★★★★ ★二七九★←→★水月金★ ★一三五★←→★計土羅★(※ここで「計」は「計都」のこと) ★六八四★←→★火日木★ ★★★★★←→★★★★★ 「男浅津間若子宿禰」の「浅津」は「薊瓊」なのだ。では「薊瓊」とは何か。 【系譜分析29】によれば、第19代の天皇は月宿の「婁」。そのインド名は 「アシュヴィニー」(正確な発音は書けない)。このことを念頭に置いてみると、 「薊瓊」という表記は、インドの月宿「アシュヴィニー」を表わすことが判明する。 それだけではない。「阿邪美都比売」の「阿邪美」は「薊」であって、 「阿邪美都」は「薊都」とも書けるが、実は「薊」の音は「計」に同じ。 したがって「阿邪美都」→「薊都」→「計都」と読み替えることができる。 一方の「アシュヴィニー」は、いわゆる九曜で言えば「計都」。である以上、 「薊」という表記は、最初から「計都」を表わすために用いた可能性が大きい。 #「あしび」を「馬酔木」と書く。「あせび」とも「あせみ」とも言う。 #「アシュヴィニー」は、例えば舎頭諫経では「馬師」。そうしてみると、 #「馬酔木」と書く背景には、サンスクリット語(ないしイラン語)がある。