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翻訳という行為(続)

「牛」を含む二十八宿で循環しているとするならば、欽明が神武に重なることになる。
神武も「虚」ということになる。「倭」ないし「日本」を負う天皇は他でもない神武である。
ところが、「虚空見日本国」などと言われる。ここにも月宿の「虚」が見え隠れしている。

 ・「袁本杼」…………………「斗」……「番能迩迩藝」
 ・「広国押建金日」…………「牛」……「穂穂手見」
 ・「建小広国押楯」…………「女」……「鵜葺草葺不合」
 ・「天国押波流岐広庭」……「虚」……「神倭伊波礼毘古」

記紀をまぜこぜに見るのは作品論の嫌うところだが、しかし注目すべきは、
書紀に「彦火火出見尊崩。葬日向高屋山上陵」とある点だろう。というのは、
安閑天皇についても「御陵在河内之古市高屋村也」とある。どららも「高屋」。

「迩迩藝」についても書紀を見てみると、「葬筑紫日向可愛之山陵」とある。
「可愛」の下に割書で「此云埃」と入っており、この点は無視できないものの、
継体についても「御陵者三嶋之藍陵也」とある。「愛」も「藍」も「あい」である。

#さらに発展的には、言うところのゲマトリアの問題がある。
#例えば、「天」は「ΣMYA」(472)だが、その一方において、
#「伊波礼」は「OPRA」(472)。このような語彙群が結局は、
#どこからもたらされたのか。漢訳仏典の作者の素性が問題。(※単なる翻訳ではない!!)


翻訳という行為
「尾」に当たる「Mula」には「元」の意味がある。そこで「尾」を「伊波礼毘古」とし、
月宿を逆順に並べてみると、「婁」のところに「男淺津間若子宿祢」が対応するが、
系譜分析30の通り、「淺津」〜「薊瓊」〜「Asvini」であれば、なるほど納得しやすい。

資料の地図の箇所には、この線に沿った照応表をそのまんま載せているが、
その後さらに検討した結果、もっと素直に正順で対応していることが判明した。(※「牛」を含む)
ならば差し替えるべきところだが、それは最後の最後にしようと今も考えている。

 ・「広国押建金日」…………「牛」
 ・「建小広国押楯」…………「女」
 ・「天国押波流岐広庭」……「虚」……(飛鳥)

幾つかポイントがあるが、安閑〜宣化〜欽明の並びについて言えば、
安閑に関する日本書紀の御名代の如き記事が大きなポイントと言える。
「宜放牛(中略)冀垂名於後」の「牛」は「勾」という名前に由来するものだ。(※以下を参照)

>古事記で「薬方」の話と言えば人口に膾炙した「稲羽之素菟」の物語もある。この物語の主役は「菟」だろうが、
>「和邇」がいなければ物語は成り立たない。ところが日本書紀で安閑は母方が「和珥臣」である「春日山田皇女」
>を皇后としている。「丙辰、別勅大連云、宜放牛於難波大隅島与媛島松原。冀垂名於後」という奇妙な記事がある。
>これに関し新編全集は、「名代」のことであろうが、どういう関係か不明、とし、大系は、名代の意に取れるが、
>この二牧の名がなぜ天皇に関係があるのか解釈できない、とするが、二十八宿の一つである牛宿を象徴する
>動物としての牛と考えると、およそ包括的に理解できる。高松塚古墳やキトラ古墳に二十八宿は描かれている。
>別途論証必要だが、二十八宿の知識は摩登伽経、舎頭諫経、大毘婆沙論など漢訳仏典に由来すると思われる。
>摩登伽経では翻訳語として中国の宿名を流用し、「abhijit」に「牛」を充てた。中国の牛宿は山羊座だが、
>山羊座をインドでは「mrga」(山羊)または「makara」(わに)と呼ぶ。宿曜経では山羊座を「磨竭宮」に作る。
>矢野道雄『密教占星術』(東京美術、昭和61年)に従えば「磨竭」は「makara」の音写。したがって日本では
>中国の牛宿を「わに」と見ていたことになる。「勾大兄皇子」の「勾」の字義や和訓と「makara」の関係が問題。
>「勾」が「makara」に重なるものとするならば、確かに「牛」を放つことが「勾大兄」の名を後に垂れることになる。

この場合、欽明の名前が問題となる。日本書紀が「排開」に作るところを古事記は「押波流岐」に作る。
「開」の箇所をいわゆる音仮名で「波流岐」に作る。正訓による表記の「排開」は意味が限定的になるが、
「波流岐」の場合は「開」の他に何か他の意味にも読めそうである。だからこその音仮名ではあるまいか。

摩登伽経は「虚」の形を「飛鳥」に作る。これはインドの言葉からの翻訳ではあるが、
翻訳者はインド人ではない。例えばシリア語の「PRXA」は漢字の「開」の意味の他に
「飛ぶ鳥」の意味を持つ。「波流岐」という音仮名は「PRXA」の音写の可能性が大きい。


文献情報2
 「近世たたら製鉄の歴史」雀部実 館充 寺島慶一著
こちらのほうが冶金学的専門性が高い。


文献情報
明治期の海軍工廠における特殊鋼製造とたたら鉄(たたら製鉄の経営)(Part-1. 鉄の歴史 : その技術と文化)(<特集>鉄の技術と文化および循環型社会)
Alloy Steel Manufacture at Naval Arsenal of Meiji Period and Tatara Ironproduct(Management of Tatara Process Industry)(<Special Issue>Social Engineering of Iron and Steel Industry Technology, Culture and Recycling-Oriented Society)
渡辺 ともみ 1
WATANABE Tomomi 1


「ものづくり」と「もののけ」【日本人の感性】
 最近、様々なところで日本の「ものづくり」の強化が叫ばれているようです。2007年問題に代表される団塊の世代の大量退職によりそれまで培ったノウハウ消失の危機感を産業界がもっているとの背景によるものらしい。

 ここで、いう「もの」とはいったい何なのだろう?

 立ち止まって考えると「もの」は「物」(物質;material)という意味と「者」(人;person)と意味が浮かんでくる。日本人はなぜ物質も人も「もの」と呼ぶのか?欧米の思考では絶対に対立概念だと思うのに。
 真弓常忠氏の「古代の鉄と神々」に載っている話だと「もののふ(武士)」「もののぐ(武器)」「もののけ(精霊)」などの日本の古話から、「もの=鉄」という結論を導き出している。鉄に宿るスピリチュアルなものを含めた「もの」というのが古語なのだと。
 
 それでは「鉄に宿るもの」とは一体何なのだろう?

それは鉄の材料強度なのだと思われる。鉄(正確には鋼だが)は熱処理をすることで増幅できる材料強度幅は、現在開発されてきた新素材すべてと比較しても圧倒的に鋼が大きい。この強度が宿る鉄の性質がスピリチュアルな「もの」の正体ではないだろうか。見た目は同じ形をした剣でも熱処理の有り無しで材料強度は圧倒的に熱処理後のもの高い。古代において最高の強度をもつ材料は強烈な存在感があったに違いない。

 そういえば、精神的な訓練の重要性を「鉄は熱いうちに打て」というがこのような思考の残照とも思える。こうかんがえると、2007年がきてから「ものづくり」を騒いでも仕方がないのかもしれない。経験をもったものが、若手を指導できる時間が必要だからだ。「もの」とは「ものづくり」をするうえでの心構えや視座、それらを突詰めたところに現れる執念や諦念などを体得させる精神的なもので、そういった瞬時にダウンロード出来ないデータへのもどかしさから卒業した先に、尊厳を認めることで初めて自覚されるものではないだろうか。


鋼の錬金術師
クセルクセスは島根にある安来では?
スサノオはエド、鉄系合金の錬金術が得意。
そこにはスサノオの母神、イザナミも眠っ
ている、黄泉の国といわれたところだ。


くくるものとはしりなから
安来 和歌王


いろはにほえとちりぬるを
 いう(意宇)のおくやまけふこえて
あさきゆめみし


トヨタマよ
とにかく毛利と尼子で分断しないこと。


ご参考
 島根県安来市伯太町の比婆山に
イザナミ神の御神陵はあるみたいですね。

http://www.city.yasugi.shimane.jp/p/public/ijiri-es/ijiritenbyou/


神話は今も続く
 スサノオの鉄剣の話は出雲では今も続いており
島根県安来市の日立金属では高級特殊鋼というのを
未だに生産している。
 この工場は明治時代、古代から続くたたら製鉄を
営んでいた、出雲-伯耆の鉄山師たちの起こした会社
が出発点らしい。
 つまりは神代の話が今も続いているということに
個人的には感動しました。


Re;hvhyさん
 そういえば、大同根来なんてききますよね。


Re;アヂシキタカヒコネ
 出雲は古代鉄精錬の歴史をいまに引き継ぐ
安来市などもあり、そこの和鋼博物館に
行ってきてなんとなくアジスキタカヒコネさんの
はなしが面白くなってきました。考古学的
アプローチも入れるとその話面白くなってゆき
そうですね。


神話の効用
 島根県安来市に行ったことある?
あそこの和鋼博物館に古代刀の復元があるけど、
映画「もののけ姫」のアシタカが持っていたもの
はあれをモデルにしたんだって。


ホトタタラ姫関係
このあたりは、安来の語部さんが得意かもしれませんね。


高天原からの使者15
それ程、天若彦と阿遅志貴高彦根神の容姿は能く似ていた。

http://tcup70.tripod.co.jp/7028/idutani/html


高天原からの使者14
その阿遅志貴高彦根神を見た天津国玉神は、

http://tcup70.tripod.co.jp/7028/idutani/html


高天原からの使者13
鷺を喪屋を掃(はら)う役目の掃持(ははきもち)とし、翡翠(かわせみ)を死者に供える食物の料理人の役目の御食人(みけびと)とし、雀を米を搗く役目の碓女(うすめ)とし、雉を葬儀で泣く役目の哭女(なきめ)と役割を決めて、八日八晩の間、天若彦の魂をこの世に招き祈るため、箏弾き笛吹き歌い舞い過ごした。

http://tcup70.tripod.co.jp/7028/idutani/html


語部白
 故神避し、伊邪那美は出雲と伯耆の堺、意宇郡安来郷の
比婆の山に葬りき。


高天原からの使者12
突然の夫の無惨な死を悲しむ、天若彦の妻、下照姫の泣く声が風に運ばれて高天原まで響き渡った。

http://tcup70.tripod.co.jp/7028/idutani/html



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