1月10日(日)  10:12 am 駅


 「ふう………」
  ベンチに腰を下ろすと、冷えた体にじわじわと暖かさが染み込んで来る。
  昨日は嫌だったはずの北国の寒さも、いざ別れるとなると、どこか寂しくなってしまう。

  ―――けれど、突然の別れよりは、ずっといい。

  暖房の効いたホームの待合室、私は列車の発車時間より随分と早くから、ここに来ていた。
  この場合は、『待っていた』と言った方が正しいのだけれど。

 「みさきさんっ」
  待合室の自動ドアが開くと、明るい声と澄んだ空気が同時に飛びこんで来た。
  私はその声の主へと、微笑みを返す。
 「おはよう、栞ちゃん。見送りに来てくれたんだね」
 「………また遭難されたら、寝覚めが悪くなりますから」
  少し間を置いて、軽い冗談が混ざった返事が返り、足音が近づく。
 「残念です、もう帰っちゃうなんて」
 「今度はもっとあったかくなってから来るよ。もう、遭難したくないからね」
  …あ。
 「冗談、だからね」
  慌てて取り繕ったものの、返事は無く、心なしか、聞こえる足音が強くなったような気がした。
  栞ちゃんはそのまま、やや強めに勢いをつけるようにして隣に座る。
 「みさきさん、ひどいです……」
  言葉とは裏腹の、どことなく優しい口調。
 「でも………みさきさんは嫌いになれせん」
  照れ隠しなのか、わざと拗ねたように言うと、栞ちゃんはおもむろに私の手を取り、指切りをした。
 「ちゃんと来てくださいね………約束です」
  その言葉と、絡められた細い指は、昨日よりもずっと力強かった。
 「もし約束破ったら、罰としてカレー9杯完食に挑戦するよ」
 「それ、絶対罰にならないと思いますけど」
  『絶対』を強調して、即座に返される。
  私なりに、真面目に言ったつもりだったんだけど……。
 「んー、じゃあ、栞ちゃんが食べて、私はそれを羨ましそうに見るとか」
 「………私もみさきさんも無理です」
  今度は雪ちゃんのように、しみじみと否定される。
  確かに、言われてみれば無理かもしれない。
 「そうだね………あはは」
 「あは……あははは………」
  どちらからともなく、明るい笑いがこぼれた。

 ≪ 2番線に列車が参ります 危険ですので――――――≫

  間もなくアナウンスが流れ、別れの時が近づく。
  栞ちゃんは残念そうに大きく息をすると、すっと立ちあがった。
 「もっと話したかったですけど………」
 「また会えるよ、きっと」
  心配ないといったふうに笑いかけ、私も荷物と杖を持って立ちあがる。
 「………」
  しばらくの沈黙。
  言葉は無く、自動ドアの向こうで、迷うようにホームへ向かう足音だけが聞こえた。

  大丈夫だよね、栞ちゃん………答え、見つかったよね。
  希望を持たせるように、自分自身にゆっくりと頷く。
  自然と杖を持つ手に、力が入った。

  冷たい風を従えた列車がすぐに到着し、私は扉のすぐ側の席に荷物を置いて、振り返った。
 「栞ちゃん」
 「………………」
  返事はない。
  不安はあった。でも、そこに居ると信じて、祈るように呼びかける。
 「栞ちゃん?」
  躊躇うような、かすかな息遣いが聞こえた。
 「あ、あのっ……」
  真剣な様子で栞ちゃんが口を開く。
  ホームでは既に、発車を告げる音楽がゆっくりと流れていた。
 「みさきさん………私、みさきさんにまた―――」
  言いかけた瞬間ドアが閉まり、その先は聞こえなかった。
  代わりに―――ドン、ドン―――何かを必死に伝えようと、扉を叩く音が聞こえた。
  列車が大きく警笛を二度鳴らし、静かに動き出す。
  扉を叩く音は、もう聞こえかった。
  栞ちゃんは扉の向こうで、言葉を溜めこんだ目で私をじっと見ている―――そんな気がした。

 『大丈夫、ちゃんと聞こえたよ』

  私は応えるように、精一杯の微笑みを返す。
  そして、ガラス越しでもはっきりと判るよう、唇を動かした。

 『ま・た・ね』、と。


  誰かを助けたい―――そんな大袈裟なことじゃない。
  ただ私は、外の世界に一歩踏み出すためにもらった勇気を誰かに伝えたかった。
  それだけの単純なことだった。

  ………いや、栞ちゃんは私に会った時にはもう、自分から一歩を踏み出していたのかもしれない。
  そう思うと、自然と笑みがこぼれた。 

 

  そう遠くない未来、私自身も奇跡に出会うことを、私はまだ知らない。

 

                                          ――― 了 ―――

 

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