1月9日(土) 16:41 pm 公園

 『だからもう………絶望なんかしちゃ、駄目だよ』

  ………!!

  私はその言葉に、左手首を庇っていた。
 「ごめんね、あの時に気付いてた………駅前で会った時に」
  振り返り、申し訳無さそうな顔をする。
 「でも、だから会えたのかな。栞ちゃんに」
 「………………」
  私の動揺を気遣ってか、みさきさんはそのまましばらく、視線を空に向けていた。
 「ねぇ、今日の夕焼け、綺麗?」
 「………はい?」
  突然の問いに、思わず間の抜けた返事を返す。
 「何点ぐらいかな?」
 「え、えっと………」

  慌てて視界を空へ移す。
  長い影の向こうにある、沈みかけた夕陽が、全てを赤色の混ざった世界に染めあげていた。

  赤い空―――
  赤い雲―――
  赤い雪―――
  赤い樹―――
  赤い噴水―――

  不思議と、目に入ってくる景色の全てが、素直に綺麗だと思えた。

 「………90点ぐらいだと思いますけど」
 「そうなんだ、甘口なんだね」
  悪びれた様子も無く言うと、みさきさんは笑った。
  でもそれは、何かを押し殺したような、どこか辛い笑いに見えた。
 「おかしいかな、そんなこと言うの。私には何も見えないのに」
  みさきさんは呟くように言うと、そのままベンチにゆっくりと歩を進め、元居た場所に座る。
  一言のはずの言葉が、数秒のはずの時間が、私にはひどく重く感じられた。
 「さっき、似てるって言ったよね。私と栞ちゃんが」
 「………はい」
  大きく息をして、みさきさんは続けた。
 「私ね、最初から目が見えなかったわけじゃないんだ。事故でね、小学生の時に………それでもう、
 この目が見えないんだって判った時………………死にたいって思った」
  みさきさんの目は、真っ直ぐに私を映していた―――私には、そう見えた。
 「でも気付いたんだよ。見えないからって、そこに無いわけじゃない。見ようとしなかったのは、私だっ
 たんだって」
 「そう、ですか………」
  私は少し、目を伏せていた。

  今の私には、それぐらいしか返す言葉が見つからない。
  私とは違って、そんな風に考えられたみさきさんを羨ましく思った。

 「私が住んでる街の人にとったら、この街なんて、ただの寒い北の街にしか思わないかもしれない。
 ひょっとしたら、この街があることさえ知らなくて一生過ごすかもしれない。………でも私はここに居
 て、寒さを感じて、栞ちゃんとこうして話をしてる」
  みさきさんは一気に言葉を繋ぎ、そして最後に微笑んで、言った。
 「私にとっては、永遠だよ」
  その表情は、迷っているようには見えない。

  私はまだ、この世界の全てを感じることができる。けれど、あの日から私の日常は一つ一つ、光を
 失うように消えていっている。
  ささやかなはずの願いは、真っ先に消えてしまった。
  たった一人取り残された私は、手探りのおぼつかない足取りで、何を探していいのかも判らない。
  最後には、暗闇の中に私自身も、かき消されてしまう。

 「………やりたいことがありました………とっても、簡単なことです」
  ため息と一緒に、詰まっていた言葉が自然と溢れ出した。
  病気のこと、
  大切なお姉ちゃんのこと、
  昨日のこと、
  私は、今日みさきさんに会うまでのこと全てを話していた。
 「奇跡なんて起きないんです………奇跡なんか」
  そして終わりに、自分に言い聞かせるように。
  話したところで何も変わりはしない。判っているはずなのに。この赤い空も、やがては黒く覆われ
 てしまうように。

 「………そうかな?」
  でも、返ってきた答えは、違っていた。
 「え?」
 「起こらなかったら、奇跡なんて言葉は無いよ」
  みさきさんはあっさりと否定して、続ける。
 「奇跡がいつ起きるかは誰にも判らないよ。でも、気がつかないうちにそれは起きて………もしかし
 たら、それが『奇跡』だってことも気付かないような奇跡が、沢山起こってる。私はそう思いたいな」
 「でも、私………」
  反論しかけた私に、みさきさんは人差し指を私の目の前に立てて、それを遮った。
 「だったらどうして、栞ちゃんは学校に行ったの?」
  ………
  ………??
  ………???
 「えーと………どうしてでしょう?」
  判らない。
  考えれば考えるほど、頭の中に「?」のマークが増えていった。
 「栞ちゃん、多分、自分でも気付いてるんじゃないかな」
 「何が………です?」
  やっぱり、判らない。
  みさきさんはその答えを知っている。そんな気がした。
 「さあ、それは私の口からは言えないよ」
 「そんなこと言う人、嫌いです」
  眉間にしわが寄るほど悩んでいる私が判ったのか、みさきさんは、わざと意地悪をする時のお姉
 ちゃんのように、ただ笑っていた。

 

 「ここでいいよ。風も冷たくなってきたし、外にいたら体に毒だよ」
 「あ、はい………」
  辺りが暗く染まりかけた頃、私たちは商店街の近くでタクシーをつかまえ、私はそこでみさきさん
 を見送った。

 

  帰る途中、私はみさきさんの言葉の意味を、ずっと考えていた。
  みさきさんには何が見えているのか、私にはわからない。
  でも、みさきさんの言葉には、私には判らない何か―――そう、力のようなものがあった。

 ≪『奇跡』は起こらないから奇跡≫

  その言葉が怖くて、私はずっと閉じこもっていた。?
  誰かにその言葉を否定してもらったかった? 背中を押してもらいたかった?
  だから言い続けて………?
  疑問符だけが、次々と浮かんでは消える。

  みさきさんは明日の朝帰ってしまう。
  それまでに答えが出なくても、みさきさんにもう一度会いたい。そう思った。

 
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