1月12日(火) 04:25 pm 川名家・ダイニングキッチン
すぐそばの母校から、部活の活気にあふれた懐かしい喧騒が聞こえてくる。
お土産を貰いに寄っただけなのに、気がつけば、いっぱいだった目の前のお菓子入れが、ほとん
ど空になってしまうほどの時間が経っていた。
その大半を、客のわたしではなく、みさきが食べてしまったのはいつものこととして。
馴れた手つきでとぽとぽと、みさきが2杯目になるお茶を煎れる。
「雪ちゃん、はい、お替わり」
「ありがと」
少し乾いた喉を熱いお茶で潤すと、日本茶独特の渋みが、体全体に爽やかな風を起こす。
「料理オンチのみさきにしては、上手く煎れるじゃない」
「……『しては』は、余計だよっ」
お盆を持って立ち上がったみさきは、首だけをこちらに向け、拗ねるように言葉を投げた。
わたし達の日常会話は、十年以上前から全くと言っていいほど進歩していない。
―――ピンポーン
最後のお菓子に手を伸ばしたところで、チャイムが鳴った。
インターホンを取ったみさきは、わたしに申し訳なさそうに片手を立て、「ごめんね」と仕草で告げる。
「はい…………」
みさきの表情は、すぐに疑問の色に変わった。
「もしもし………?」
しばしの間。
「どうしたの?」
「うん………返事がないんだよ」
小首を傾げるみさき。
「ちょっと貸して」
『―――――』
なるほど、聞いてみると誰か居るような気配はするものの、声は聞こえてこない。
「もしもし、どちら様ですか?」
『―――――』
わたしが聞いてみたところで、やはり返事はない。
代わりに、『コツコツ』と何かを弾くような音だけが聞こえる。これはこれで、映像が見えないだけに
かえって怖い。
「みさき、今日誰か来る予定とかある―――」
「あ!」
何かを急に思い出したらしく、みさきはインターホンを奪うように受け取った。
「澪ちゃんだよね? ごめんね、すぐ開けるから!」
「上月さん?」
「うん、今朝そこで会ったんだよ。お土産あるからおいでって」
そう言いながら、みさきは慌ただしく、バタバタと音を立てて玄関の方へ駆けて行った。
「みさき! 慌てて走ったら………」
―――がしゃんっ!!
あ。
「みさき、大丈夫?」
「うん、何とか………ね……いたたた……」
しばらくすると、半べそをかいたみさきが膝のあたりをさすりながら、上月さんを連れて戻ってきた。
玄関前のスリッパ立てが壊れたかも知れない。
「お久しぶり、元気そうね」
上月さんに軽く手を上げ、微笑みかけると、彼女はぴょこっと可愛らしくお辞儀を返した。
小柄な体とは対照的な大きなリボンが、それに合わせて小さく跳ねる。
『おひさしぶりなの』
そして、スケッチブックで伝えられる言葉。
その仕草は、表情だけでなく、体全体で笑顔を表現しているように見えた。
大きなリボンとスケッチブックがトレードマークの、演劇部の元気な後輩。
みさきとはまた別の、辛い道を歩いている―――生まれつき言葉を失っていながらも、そんなこと
を微塵も感じさせないほどのひたむきさと、明るい笑顔が、とても印象的だった。
彼女のそんな姿に、知らず知らずのうちに、わたしは何度も励まされていた気がする。おそらく、
それはわたしだけではなくて。
「澪ちゃん、ちょっと待っててね」
みさきはそう言うと、部屋の隅に置いてあった大きなダンボール箱に向かい、がさごそと中を探る。
箱の蓋には、宅配便の伝票。
「わわっ」
みさきの焦るような声と一緒に、箱の中から何かが崩れるような、ドサドサという音がした。
―――ふと、不安が頭をよぎる。
やがてみさきは一つの箱を取り出すと、それを上月さんに渡した。
「はい、澪ちゃんにもお土産だよ」
「『ありがとうなの』」
上月さんは、みさきの手を取って上下に振り、無邪気な笑顔と共に感謝の意を表す。
文字は、代わりにわたしが読んだ。
「みさき、そこどいて」
「わわっ、危ないよ雪ちゃん」
わたしは不安に突き動かされるままに立ち上がり、みさきを押しのけてダンボール箱の中を覗き
込んだ。
「………何よこれ」
中には、『名産』と銘打たれた土産物が何種類も入っていた。少なくとも、20箱。
「ちょっと試食したら美味しかったんだよ」
ごく当たり前のように、さらりと答えるみさき。人差し指を口元に当てている時は、決まって何も
考えていない時だ。
みさきの食べ物に対する「ちょっと」は、一般の「ちょっと」とは違う。しかもみさきは、「自分の料
理以外」、味に妥協はしない。少しだけ、土産物屋の店員に同情した。
「そんなに配る人も居ないのに、どうしてあなたは………」
言いかけて、はっとする。
みさきに対して抱く『不安』は、今まで一度たりとも外れたことは無い。
「わたし、そろそろおいとまするわ」
「ちょ、ちょっと待って雪ちゃん!」
きびすを返そうとしたわたしの腕を、みさきはしっかりと掴んでいた。
幼なじみの間合い、とでもいうのだろうか。この子はわたしを捕まえることに関しては、昔から天
才的だった。
そしてその後の、お決まりの台詞。
「それでね………あの……お土産、買いすぎちゃって………お金、ちょっとだけ貸して欲しいんだ
よ……」
潤んだような目で、みさきはわたしをじっと見つめる。その目は、決してわたしを映してはいない
のだけれど………
くいっ
?
袖を引っ張られて振り向くと、上月さんがスケッチブックを広げていた。
『みさきさん かわいそうなの』
同情してか、上月さんまでわたしに、文字通り上目遣いに目で訴える。
「ちゃんと返すから、ね? 一生のお願い………」
嫌でもみさきに聞こえるように、わたしはわざと深いため息をつく。
「あなたって子は………」
ひょっとしたらわたしは、神様とサンタクロースの次に、『一生のお願い』を聞いてるんじゃないだ
ろうか。世界ランキング第3位―――表彰台があるのなら、是非上ってみたい。
「判ったわよ。貸せばいいんでしょ、貸せば………」
みさきの借金は、当分無くなりそうになかった。