四月の雪 〜藤井冬弥〜


  歌が聞こえてくる。

  冬の街路、冷たい風の中、その歌声に足を止める。ブラウン管の向こう側で彼女は歌っている。
 俺はこちら側で、それを静かに見ている。

 俺の日常はこんな風に、いつも平凡で……ただ一つだけ普通とは違っていること。
 それは、このプラウン管の向こうで歌っている彼女、森川由綺が自分の恋人だということ。
 彼女は彼女の特別な生活を送り、俺は俺の平凡な日常を送る―――

 

『二人で夢叶えようよ。大丈夫、きっと俺達ならできるよ』
 デビュー前の由綺に、俺はそう言った。
 確かに、由綺には頑張って欲しい、大きくなって欲しいと思う。でも、その願いが叶う程、『俺だ
けの由綺』が消えていく。そんな気がした。
 俺の存在は弥生さんの言う通り、『森川由綺を大きなものにする為の部品』でしかないのか?
 ステージの『あちら側』と『こちら用』。たとえADのバイトで由綺の側に居られたとしても、そこに
はどうあがいても越えられない壁があるんじゃないか?
 俺達がどうなっても、由綺は由綺のまま、俺は愛せる自信があった。
 でも、『音楽祭』が迫り、会えない日が多くなるにつれて、その疑問はいつのまにか自分の中
で強く、大きくなっていた。

 

 カランコロン…
 いつものように暇で、閉店も近い『エコーズ』に扉の鐘の音が響く。
「いらっしゃいませ―――あ、姫川さん」
「こんばんは、藤井さん」
 扉を開けて入ってきたのは、同じ大学に通う姫川琴音さんだった。
 彼女とは学科は違うけど、由綺が一般教養で同じ講義を取っているらしく、何かと由綺を助け
てくれている。
 仕事も忙しく、大学ではあまり友達を作る余裕の無い由綺の数少ない友人の一人だ。

「あの…………藤井さん、今いいですか?」
 こんな遅くにわざわざ訪ねてくるなんて、一体何だろう?
「あ、ちょっと待っててね」
 いつものように店長は奥でレコードを聞きながら、何やら物思いにふけっている。
「店長、いいですか?………………え?どうせ暇だから閉店にしていいって?」
 相変わらず、何考えてるか判らない人だな。
「うん、いいって。姫川さん、何にする?」
 彼女は俺が戻るのを待って、カウンターに腰掛けた。
「すみません………じゃあ、ロイヤルミルクティーを」
 どこかにあどけなさを残した微笑。でも彼女は、由綺と同い年ということを感じさせない、何か
を持っているような気がした。

「で、俺に用って?わざわざこんな遅くに?」
 彼女のオーダーと自分のコーヒーを作りながら、俺は尋ねた。
「ええ、ちょっと心配で」
「………心配? 何が?」
 真剣な限差しで、彼女は俺を見ていた。
「藤井さんと、由綺さんが、です」
「由綺と、俺が………?」
「はい」
 一瞬の沈黙。
 店中にはただ、サイフォンのコポコポという音と、ガスの静かな燃焼音だけが響いていた。
「藤井さん、無理してるように見えるから」
「え………」

 不安を見透かさているような気がした。
 由綺には会いたい。でも、それは俺の『好き』のエゴであって、それで頑張っている由綺の足を
引っ張りたくはない。
 だけど―――

「コーヒー、沸いてますよ」
「あ、ああ…」
 動揺は、肯定を意味していた。

「ごめんなさい。わたし、お節介かもしれません……でも、放っておけないんです」
 両手で持ったティーカップに視線を落とし、彼女は話す。
「昔のわたしは、誰とも関わりを持とうとしませんでした。わたしと、周りの人たちの間には見えな
い壁があるんだって」

 『壁』―――俺と由綺との間の壁は………

「でも、それは間違いでした。壁を作っていたのは、わたしの方だったんです………大切な人が、
それを教えてくれました」
 視線を上げ、彼女は続けた。
「壁なんて、最初からどこにも無いんですよ」
「………………」
 その言葉を信じたかった。でも、自信がなかった。
 彼女の言う通り、『壁』なんてどこにもなかったのか。俺、は由綺の側にいてもいいのか………
「確かめたいですか?」
「ああ…」
 俺が頷くと、彼女はテレビのスイッチを入れるように言った。

 今の時間帯にやっている音楽番組では、『音楽祭』にノミネートされた歌手が毎日のように紹介
されていた。
 見覚えのあるステージ。理奈ちゃん、そして由綺の歌が流れる。
 ステージの上の由綺は、俺の知っている由綺とは違って、別人のようで………
「由綺さんには、音楽祭が終わるまで黙ってて欲しいって言われてましたけど」
 そう言うと、彼女は一枚の紙を差し出した。


 すれ違う毎日が 増えてゆくけれど
 お互いの気持ちはいつも 側にいるよ
 二人会えなくても 平気だなんて
 強がり言うけど 溜め息混じりね
 過ぎてゆく季節に 置いてきた宝物
 大切なピースの欠けた パズルだね
 白い雪が街に 優しく積もるように
 アルバムの空白を全部 埋めてしまおう

 降り積もるさびしさに 負けてしまいそうで
 ただ一人 不安な日々を過ごしている
 『大丈夫だよ』って 肩を叩いて
 あなたは笑顔で 元気をくれるね
 たとえ離れていても その言葉があるから
 心から幸せと言える 不思議だね
 淡い雪がわたしの ひそかな想い込めて
 純白のアルバムの ページ埋めてくれる


 「White Album」、紙にはさっきの歌詞が書かれていた。
『感性のままにラブソングなんて書いたら収拾つかなくなる』
 英二さんの言葉通り、まるで俺と由綺のことを綺麗に表現した………いや、英二さんはそこまで
俺達のことを理解していたのか?
 それに、この字は……
「由綺さんですよ…作詞したの」
 !!
 俺はもう一度、由綺の字で書かれた歌詞に目を通した。
「由綺が、これを………」
 自分が嫌になった。
 気付かなかった自分に対しての恥と、怒りと、由綺への思いとがいくつも絡みあって。

「信じてください、由綺さんのこと。ステージの上でも、由綺さんは藤井さんと一緒にいますよ」
 彼女は少し恥ずかしそうに言う。でも、その言葉に迷いはなかった。
「ありがとう、姫川さん」
 静かに首を横に振る彼女。
「いえ、ただ………昔のわたしと似たような人を放っておけなかっただけです。それに、もし浩……
あの人だったら、放ってはいないでしょうから―――」
 彼女の瞳は、ここには居ない誰かを映していた。

 

 ―――春
 川沿いの桜並木を、由綺と並んで歩いていた。
 桜の花弁を運ぶ春風が、優しく由綺の髪を撫でる。
「今ね、ソロアルバムの企面が出てるんだよ」
  音楽祭の後に出た理奈ちゃんとのコラボレーションアルバムは、しはらくの間オリコントップを保ち
続け、由綺のソロアルバムヘの期待は、否が応にも高まっていた。
「また作詞するのか?」
「う、うん…………」
 アルバムが出た後、作詞のことでさんざんからかったせいか、由綺は嬉しいとも不安とも取れる 表情で微笑んだ。
 俺は……あの歌、由綺に助けられたんだ。


 耳元にささやく やさしい春風
 忘れてた あの頃のこの気持ち
 不思議ねあなたがいると いつでも
 裸足のまま 駆け出せるの明日へ


「まだ、途中までしかできてないんだけどね」
 恥ずかしそうに新曲を披露する由綺。
 壁なんてない、ステージの上とは違う、『俺だけの由綺』は確かにここに居る。
 『彼女』が教えてくれた通り―――


「ああ〜〜っ!!ヒロ!それ、あたしの!」
「うるせえ!早い者勝ちだ!!」
「まあまあ、志保も浩之ちゃんも、まだ沢山作ってあるから………」
 川の向こう側では、花見客の一団が何やら盛り上がっていた。
「長岡さん………」
 その中の一人に、由綺が気付く。
「由綺、知り合い?」
「うん、長岡志保さん。昔は海外のレポーターだったんだけど、今は歌手の先輩だよ」
 ナガオカシホ?
 そういえば、マナちゃんが好きだって言ってたな。
「挨拶してくるね」
「おいおい………」
 オフの時まで挨拶しなくてもいいのに………
 でも、その真面目さが由綺のいいところでもあることを、俺はよく知っていた。
「冬弥くん、あそこに居るのって」
「姫川さん………だよな」
 その一団の中には、彼女もいた。
 彼女もこちらに気付き、軽く頭を下げる。
「………俺も行くか」

 温かい日差しの中、静かに桜が舞う。
 それは、ゆっくりで、でも確実に……四月に降る雪は、アルバムの空白に舞い降りる。
 俺達の、アルバムに。

「あれ、琴音ちゃん、志保、知り合い?」
「はい」
「ヒロ、あんた知らないの………」
「あかんて、藤田君の芸能オンチは折り紙付きや」
「………………」
「ねえ葵、この際だからサイン貰っちゃうー?」
「あ、綾香さん……」
「あははー」
「ま、いーんじゃねーの。会ったのも何かの縁だ。暇なら一緒にどうだ?雅史、そこ詰めろ」
「浩之〜」
「袖擦り合うも他生の縁ネ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「お邪魔します」
「人がいっぱいです〜」


 落ちてくる 午後の木満れ日が ふたり
 照らしてる 時がこのまま止まってほしいの
 言えるかな今日は この思いあなたに
 魔法の言葉にのせて
 『好きだよ』


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